吉田町の地蔵院「百万遍」とは?由緒と与五郎新田・山王神社
静岡県榛原郡吉田町で、完全予約制の一人営業を続けています。

【今も、地域では大溝川と呼ばれる水路。遠くには地蔵院も。】
町には、理容椅子の外にも、受け継がれてきた行事があります。
地蔵院で行われる「百万遍」も、そのひとつです。
町指定の無形民俗文化財として
毎年8月15日前後に大数珠を回す行事が知られてきました。
コロナ禍では、数年にわたって見送りが続きました。
いま、有志による小さな再開が模索されています。
この記事では、個人の思い出は別の場所に残し
由緒と土地の成り立ちをQ&Aで整理します。
吉田町に暮らす方、土地の歴史を知りたい方の参考になれば幸いです。
Q1. 地蔵院の「百万遍」とは何ですか?
A. 大数珠を回しながら念仏を唱え、地域の安全と安寧を願う行事です。
要点は次のとおりです。
・ 時期:毎年8月15日前後
・ 場所:地蔵院(かつては辻堂のお地蔵様の前)
・ 位置づけ:吉田町指定の無形民俗文化財
・ 特徴:双盤(鐘)を叩きながらの独特の響き。掛け声は「チャンチャコチャーなんまいだ」
掛け声の由来について町の公式文書に直接の記載は見当たりません。
民俗学的な想像としては鐘の音の擬音が念仏の前に付いた。
あるいは七日七夜を乗り切るためのリズムと士気、といった見方もあります。
ただし未確定の説です。
公式の史実「新田開発と疫病退散」を土台に
掛け声には思いを馳せる、くらいが誠実だと私は考えています。
Q2. 百万遍は、いつ・なぜ始まったのですか?
A. 江戸時代・元禄4年(1691年)頃、悪疫(疫病)を退散させるための祈りが起源とされています。
吉田町の公式記録によると
当時、地域で大流行した悪疫を退散させるため村人たちが集まりました。
現在の地蔵院の本尊(当時は辻堂のお地蔵様)の前で
七日七夜にわたって念仏を唱え、鐘を鳴らし、大数珠を百万遍まわした。
それが始まりとされています。
定住が始まって間もなく起きた疫病の危機に新田の住民が一丸となって行った祈り。
それが、いまに続く行事の核です。
Q3. 「与五郎新田」と百万遍はどう関係していますか?
A. 行事の舞台が、武士・山内与五郎が切り拓いた与五郎新田だった、という関係です。
与五郎は、大井川から水を引く水路(与五郎川・大溝川)を整え開墾しました。
多くの農民が移り住み、新しいコミュニティの安全を見守る存在が辻堂の地蔵菩薩でした。
与五郎が開いた土地と水路があったから、人が集まり伝統が生まれた。
そう整理できます。
現代、水路は国営大井川用水のシステムに統合されています。
形は変わっても土地の成り立ちは残ります。
歴史を知ると、掛け声がただの音ではなくなり愛おしくなる。
私自身も、そう感じてきました。
Q4. 山王神社と地蔵院は、どんな関係ですか?
A. 暮らしの安全を願う「二つの場」として、セットで捉えると分かりやすいです。
地蔵院からほど近いところに、山王神社があります。
江戸から移り住んだ与五郎が
故郷の江戸上野から神様を迎えて建てた、と伝えられます。
・ 山王神社:五穀豊穣を祈る
・ 地蔵院(辻堂):恐ろしい疫病が流行ったときに集まり、大数珠を回す
神社とお寺。
豊穣と疫病退散。
日常と危機。
地域の愛着は、スポットを点で覚えるより線で結んだときに深くなる気がします。
吉田町の土地の記憶をたどるとき
この二つはセットの聖地と言えるのではないでしょうか。
Q5. いま、百万遍はどうなっていますか?
A. コロナで途絶えていた行事を、有志が小さく再開しようと模索している段階です。
立派な復活でなくていい。
人数が少なくてもいい。
音が戻ること、大数珠に手が触れること、子どもが一度でも場を見ること。
継承は、完璧な再現より途切れさせない意志に近い、と私は思っています。
私は婿入り理容師として、この町に根ざしています。
店を開け、鋏を握り、町の話を理容椅子で受け取る。
地域の記録者としても、由緒を整理しておきたいと考えました。
個人的な初めての体験や、家族の話は、noteの記事に書いています。
このブログでは、検索や調べものに使いやすい事実の整理に留めます。
まとめ
・ 百万遍:地蔵院で行われる大数珠回し。町指定の無形民俗文化財
・ 起源:元禄4年頃、悪疫退散のための七日七夜の祈り
・ 舞台:山内与五郎が拓いた与五郎新田と水路
・ 掛け声:「チャンチャコチャーなんまいだ」(由来は公式未記載のため推測に留める)
・ 関係:山王神社(豊穣)と地蔵院(疫病退散)は、暮らしの安全を願う二つの場
・ いま:コロナ後、有志による小さな再開が模索されている
吉田町の行事を知ることは、土地に暮らす安心の土台にもなります。
理容白石は、完全予約制・紹介制の一人営業です。
髪と顔の手入れだけでなく
この町で長く通っていただける場所でありたいと思っています。
ご予約・ご相談は、公式サイトまたは公式LINEからお問い合わせください。
理容白石 店主 白石俊之が執筆しました。

【今も、地域では大溝川と呼ばれる水路。遠くには地蔵院も。】
町には、理容椅子の外にも、受け継がれてきた行事があります。
地蔵院で行われる「百万遍」も、そのひとつです。
町指定の無形民俗文化財として
毎年8月15日前後に大数珠を回す行事が知られてきました。
コロナ禍では、数年にわたって見送りが続きました。
いま、有志による小さな再開が模索されています。
この記事では、個人の思い出は別の場所に残し
由緒と土地の成り立ちをQ&Aで整理します。
吉田町に暮らす方、土地の歴史を知りたい方の参考になれば幸いです。
Q1. 地蔵院の「百万遍」とは何ですか?
A. 大数珠を回しながら念仏を唱え、地域の安全と安寧を願う行事です。
要点は次のとおりです。
・ 時期:毎年8月15日前後
・ 場所:地蔵院(かつては辻堂のお地蔵様の前)
・ 位置づけ:吉田町指定の無形民俗文化財
・ 特徴:双盤(鐘)を叩きながらの独特の響き。掛け声は「チャンチャコチャーなんまいだ」
掛け声の由来について町の公式文書に直接の記載は見当たりません。
民俗学的な想像としては鐘の音の擬音が念仏の前に付いた。
あるいは七日七夜を乗り切るためのリズムと士気、といった見方もあります。
ただし未確定の説です。
公式の史実「新田開発と疫病退散」を土台に
掛け声には思いを馳せる、くらいが誠実だと私は考えています。
Q2. 百万遍は、いつ・なぜ始まったのですか?
A. 江戸時代・元禄4年(1691年)頃、悪疫(疫病)を退散させるための祈りが起源とされています。
吉田町の公式記録によると
当時、地域で大流行した悪疫を退散させるため村人たちが集まりました。
現在の地蔵院の本尊(当時は辻堂のお地蔵様)の前で
七日七夜にわたって念仏を唱え、鐘を鳴らし、大数珠を百万遍まわした。
それが始まりとされています。
定住が始まって間もなく起きた疫病の危機に新田の住民が一丸となって行った祈り。
それが、いまに続く行事の核です。
Q3. 「与五郎新田」と百万遍はどう関係していますか?
A. 行事の舞台が、武士・山内与五郎が切り拓いた与五郎新田だった、という関係です。
与五郎は、大井川から水を引く水路(与五郎川・大溝川)を整え開墾しました。
多くの農民が移り住み、新しいコミュニティの安全を見守る存在が辻堂の地蔵菩薩でした。
与五郎が開いた土地と水路があったから、人が集まり伝統が生まれた。
そう整理できます。
現代、水路は国営大井川用水のシステムに統合されています。
形は変わっても土地の成り立ちは残ります。
歴史を知ると、掛け声がただの音ではなくなり愛おしくなる。
私自身も、そう感じてきました。
Q4. 山王神社と地蔵院は、どんな関係ですか?
A. 暮らしの安全を願う「二つの場」として、セットで捉えると分かりやすいです。
地蔵院からほど近いところに、山王神社があります。
江戸から移り住んだ与五郎が
故郷の江戸上野から神様を迎えて建てた、と伝えられます。
・ 山王神社:五穀豊穣を祈る
・ 地蔵院(辻堂):恐ろしい疫病が流行ったときに集まり、大数珠を回す
神社とお寺。
豊穣と疫病退散。
日常と危機。
地域の愛着は、スポットを点で覚えるより線で結んだときに深くなる気がします。
吉田町の土地の記憶をたどるとき
この二つはセットの聖地と言えるのではないでしょうか。
Q5. いま、百万遍はどうなっていますか?
A. コロナで途絶えていた行事を、有志が小さく再開しようと模索している段階です。
立派な復活でなくていい。
人数が少なくてもいい。
音が戻ること、大数珠に手が触れること、子どもが一度でも場を見ること。
継承は、完璧な再現より途切れさせない意志に近い、と私は思っています。
私は婿入り理容師として、この町に根ざしています。
店を開け、鋏を握り、町の話を理容椅子で受け取る。
地域の記録者としても、由緒を整理しておきたいと考えました。
個人的な初めての体験や、家族の話は、noteの記事に書いています。
このブログでは、検索や調べものに使いやすい事実の整理に留めます。
まとめ
・ 百万遍:地蔵院で行われる大数珠回し。町指定の無形民俗文化財
・ 起源:元禄4年頃、悪疫退散のための七日七夜の祈り
・ 舞台:山内与五郎が拓いた与五郎新田と水路
・ 掛け声:「チャンチャコチャーなんまいだ」(由来は公式未記載のため推測に留める)
・ 関係:山王神社(豊穣)と地蔵院(疫病退散)は、暮らしの安全を願う二つの場
・ いま:コロナ後、有志による小さな再開が模索されている
吉田町の行事を知ることは、土地に暮らす安心の土台にもなります。
理容白石は、完全予約制・紹介制の一人営業です。
髪と顔の手入れだけでなく
この町で長く通っていただける場所でありたいと思っています。
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理容白石 店主 白石俊之が執筆しました。















